辛いって思う気持ちさえ無ければ楽なのに!?
確かにそうですが、喜怒哀楽の感情が存在するのは何か理由があるからだと思われます。
何故、辛い、痛いと感じるか
辛いという感情を心の傷と表現しますが、体の傷はわかりやすく痛みを伴うのに対して心の傷はなかなか表現がむずかしいですね。
体の傷は何故 痛い と感じるのか?
それはもちろん身の危険を回避するためです。
小さい子供がストーブを自ら触ってしまい火傷をすることがあります。はたまたストーブが必須の遊牧民の家では子供に手でストーブにわざと触らせて熱いことをわからせるそうです。
もちろん、火傷は痛くて嫌ですし、辛いので二度と自ら触る事はありません。
もしも人間が痛みを感じない種族だとすると、熱いストーブを触って火傷をしても何も感じず触りっぱなしでも平気で、そのうち焼けただれた手は使い物にならなくなります。
痛みこそが「それはやったら危険だよ」と教えてくれているので、痛いという感覚は生命を維持するために必要なのです。
体の痛みと同様、心の痛みも辛い
同様に心の痛みも生命を維持するために必要です。
だから辛いという感情が存在するのではないでしょうか。
「辛いことばかり起こるのは良くない状況だよ」と教えてくれているのです。
例えば親族がなくなるととても悲しいですね、辛いですよね。
「自分に近い人が亡くなるということは、この状況が続く環境だとしたら自分の生命も危険かも」ということを心の痛みが知らせてくれているのてはないでしょうか?
心の痛みはDNAに刻まれた優れた機能なのかもしれません。
また、体でいうところの「気持ちよい」は、心でいうところの「楽しい・嬉しい」に値するのではないでしょうかね。
それをするのは良いことだよ、と。
長い歴史の中で自然淘汰され、そういう心の仕組みを持つ種類の人類が生き残ったとも言えます。
ただし、気持ちよいと思っても自らすすんでお酒を呑み過ぎたりしてしまうこともありますね。
お酒の依存、薬物依存は脳の勘違いで、人類のバグ部分なのではないかと考えます。
(すみません。私はプログラマーなのでこんな表現になってしまいました汗)
アンテナを張って、敏感になろう
楽しい感情は捨てようとはなかなか思わないません。
逆に、辛いという感情も捨ててはいけません。
苦しい、悲しい、辛い というマイナスに思われる心から湧き上がる感情を無視したり、感じる事を捨ててしまうのは生命を危険から守るアンテナを捨てることになります。
辛い事を受け入れるのは辛いですが、自分が自分を守ってくれている証拠です。
どうしても辛くて辛くてしょうがない時には 「辛くてもよいんだ、自分が自分を守ってくれている」 と思ってみてください。
肩の力が少し取れますよね。
辛い気持ちを無理矢理押さえ込まないで!ただ姿勢を正すだけ も参考にしてみてください。